火力演習に行って考えた
8月20日に富士火力演習の予行に行かせて頂きました。
そこで自衛官の血の滲むような努力の成果を見て、彼らのことについて少し考えました。
先日、終戦記念日に「国民の遺書」という本を読んでいました。
そこに当時新聞記者だった山岡荘八が出撃前の特攻隊員(学徒出陣組)に
「この戦いに勝てるのか?」
と質問した際の、その答えが載っていました。
「自分たちの死は講和の条件として日本に貢献するだけでなく、50年後の日本人の誇りとして残るでしょう」
というものでした。
後日、山岡荘八は彼の心を心として大著「徳川家康」を著したと述べています。
かの名著が戦後高度成長を支えた人々(戦争の生き残り組)に圧倒的な支持を得たのは当然でしょう。
人は何かの為に戦う時にこそ、そのチカラが最大限発揮されるのかもしれません。
現在、日本は`平和憲法`の下に平和を享受しています。
ただ軍隊を持たない国の平和なんて寝言ですし、国体の維持さえ危うい国がなんの国家か、という気になります。
今回の演習を見て私が思ったのは、自衛隊でなく日本国軍とし、自衛官でなく日本国軍人として彼らに明確かつ相応の立ち位置を与えるべきではないか、という思いです。
いざ、有事の際には彼らが国家の盾になり、命を投げ出して職務に殉じるわけです。
そんな彼らに対して、会場一部からの
「税金使って、体鍛えてればいいんだからいい商売だよな」
という言葉はあまりに配慮を欠いていると思いました。
そうそう・・・
コップの中の嵐で忙しい代議士の皆さんや円高株安を黙って見ている日銀はじめ官僚の皆様。
65年前の20歳そこそこの若者の気持ちを理解して頂ければと思いますね。
そうすれば現在の国益と50年後の日本国の将来のために命をかけて働いて頂けるかな、と思うんですが・・・。
今回の担当は保身と党利党略に懸命な政治屋+官僚にうんざりな望月でした。
PS.写真は今回の演習で無念にも砲撃を停止させられた90式戦車